小原和彦 初段 (平成19年9月24日昇段)

 自分が極真空手に興味を持ったのは、保育園に通っていたときです。
当時は習い事に憧れていて、どんな習い事があるかを探していました。
そんな時に同じ保育園の友達が空手を習っていることを知り、
話をきいているうちに自分も空手をやりたいと思い、両親に話しました。
それで小学一年生の時に入門することになりました。


 「やりたい」とは言ったものの、練習内容すべてが初めてのことばかりで、
稽古についていけるのかと不安になってきました。
それでもなんとか続けて、一年の終わりの頃に初めての試合に出ることになりました。

 初試合はルールも分からず、相手の顔面を殴ったりと、
今思うとかなりみっともない試合で、二回戦で負けました。

その後も負けが続き、小三、小四の時には気持ちがだらけたのか、稽古をサボったりもしました。

 空手としっかり向き合いだしたと思えるのは、中学に入学してからで、
その辺りから空手をしっかりやってみたいという気持ちになり、
自分の中ではそこからがスタートのような気持ちでした。
6年も前にスタートしていたはずですが、気持ちや体がついていっていなかったように思います。
今からでは遅すぎるスタートですが、一般部に行き始め、それまで行っていた少年部とは違い、
大人の中に交じっての稽古は、とてもハードに感じました。
でも、一般部の方々が優しく接してくれたので、すぐに慣れ、稽古にも身が入るようになりました。


 一年後、本多先輩から昇段審査のことを聞かされました。
自分は大丈夫なのだろうかと思いながらも、喜んで受けさせて頂くことにしました。
それからは当たり前のことですが、きつい稽古が続きました。そして、審査に挑んだのです。


 審査当日は緊張のせいか、体が動かず、型ではミスをしてしまいました。
そして、とうとう一番怖かった十人組手の時が来ました。
始まる直前、本多先輩から
「絶対にいけるから!」と言われていたので最初から飛ばしていきました。

 一人終えるごとに体力が無くなっていき、七人目では、上手く呼吸が出来なくなっていました。
しかし、十人目の本多先輩が前に立った時には疲れも飛び

(よし、最後だ。いくぞ!)と言う気持ちが涌いてきました。
本多先輩との組手はとてもきつく、攻めも出来ず、受けることさえも出来ませんでした。
完遂した時は嬉しくて涙が出てきてしまいました。


 これだけの経験をして取れた黒帯なので、この帯に恥じないようにがんばっていきたいと思います。
最後までご指導、応援をして下さいました江口師範、本多先輩、道場の皆さん
  「ありがとうございました!」

川瀬佑太 初段 (平成19年9月24日昇段)

僕が極真空手を始めたのは、小学二年生の時でした。
親に連れられ道場を見学して、体験もさせて頂きました。
そして多摩センター道場に入門することになりました。


 後、半年で七年間空手をやってきた事になります。
入門当時はここまで続けるとは思ってもいませんでした。
この六年と半年の中には、楽しかった事や嬉しかった事、つらかった事や悔しかった事、
いろんな事があり今思い出せば、すべてが良い思い出です。


 僕が中学一年生の頃は、学校の部活動を理由に空手に対する意識がうすれ、
稽古に出る回数が減っていきました。三ヶ月間休会した事もありました。
復帰してからは少しはやる気になり、週に二回は必ず稽古に出るようになりました。


 自分にやる気が出たのは友人の試合を応援しに行った事がきっかけです。
その友人はその試合で惜しくも準優勝でした。
試合を見た僕は友人の強くなっていく姿を見て、僕も負けていられないと思い、
その次の週から、僕は一般部に出る事にしました。


 ある日の稽古後、悟朗先輩に「昇段審査受けたいか」と聞かれたので
僕は「押忍」と答えました。
その時、悟朗先輩と約束をしました。
それは週に二回なら二回と決めた曜日と回数は必ず来るというものでした。
その条件の中、僕は火曜日と土曜日は一般部、その他は少年部と道場が休みの日以外は毎日道場に通い
昇段審査に向けて友人と一緒に一生懸命がんばりました。


 昇段審査当日、移動では合宿で教わった事を家で練習した成果が出ました。
棒飛びも練習では全く出来なかったのに数多く飛べました。
十人組手では最後の一人がとても恐くて思い通りの動きが出来ませんでした。


 十人組手を完遂できたのも六年間指導してくださった江口師範、悟朗先輩、
たくさんの先輩方、稽古を共にしてきた仲間の皆さん本当にありがとうございました。
これからは黒帯として恥じないよう頑張っていきます。押忍

■ 板橋秀明 初段 (平成18年9月23日昇段)

 私が空手を始め、早いもので8年が経ってしまいました。
それまでと全く違う生活で何もかもが新鮮でしたが、体は正直なもので無様なものでした。
それでも夢中になり週3回は必ず参加させていただき、一年後には試合にも出場し、
茶帯まではとてもよいペースでたどり着きました。
しかし育児などの理由でだんだんと空手から遠のいていきました。

 そんな折、私を留めたものは指導をする機会でした。
一から考え、自分を見つめるチャンスでもありました。
指導を通して多くのことを学んだような気がします。
稽古のマンネリ化。そして、知識の無さ、自分の未熟さを痛感し、
自分なりに自主トレをし、考え、工夫することを学んだような気がします。
今では沢山の後輩達が、稽古に参加して下さりありがたく思っています。


 そしてなにより、人の上に立つことの難しさを知り、知らず知らずに黒帯取得から逃げていました・・・
そんな中、マイナス思考の私を改革する大きな出来事がありました。
後輩で白帯の頃から毎週私のクラスに参加して下さった田中さんの昇段です。
自分の精神の未熟さを痛感し、例えようの無い緊張が走り、奮い立ちあがりました。
先を越されてしまいましたが、田中さんの昇段が無ければ、今回の自分の昇段も無いような気がします。

 色々な意味で指導をするチャンスを与えて下さった本多先輩、
ならびに一緒にやろうと背中を
押してくれた宮川先輩、とても感謝しています。
寄り道、寄り道ではありますが、本当に継続する大切さを実感しています。
これからも思うように練習は出来ないかと思いますが、それでも自分なりのスタンスで稽古を続けていきたいと思います。

 最後に、今回昇段のチャンスを与えてくださった江口師範、本当にありがとうございました。
また、厳しく、楽しい指導をして下さいました本多先輩、ならびに練習に付き合って下さった多摩センター道場の方々、
また、家族の協力無しではこられなかったと思います。ありがとうございました。
これから、本物の黒帯、人としての黒帯になれるよう日々精進していきたいと思います。押忍

■ 田中謙太郎 初段 (平成18年3月19日昇段)

 気がつくと、いつの間にか40歳。
確かに若い頃に欲しかったものはある程度手に入りました。
しかし同時に何かを失っているようにも思えました。
それで一から新しいことを始めてみたかったのです。

 若い頃には体力にはそれなりに自信があった私ですが、現実は想像をはるかに超える厳しいものでした。
初めての稽古では準備体操で気分が悪くなり、さすがにこれでは周りの方々に迷惑がかかると落ち込みました。
それでも息子のような年齢の先輩方に励まされ、自分を奮い立たせながら、どうにか稽古に通い続けました。
錆びついていた体も少しずつ動くようになり、試合に出場させていただくようになってからは、
厳しい稽古にも以前より主体性と目的意識をもって取り組めるようになりました。


 私が極真空手から学んだことは、やはり 「折れない心」 だと思います。
特に壮年部には年齢・仕事・家庭・怪我など、自分を甘やかすのに都合の良い言い訳がいくらでもあります。
そういった様々な制約の中でお互いができる限りの準備をし、極真祭や国際壮年大会で拳を交えた経験は
私の誇りであり財産です。若い頃には分からなかった「人生の喜び」を感じました。
また先日の昇段十人組手では中盤から立っているのが精一杯となり、自分の弱さ未熟さを思い知りました。
しかし意外にも終了後に多くの稽古仲間たちから「感動した!」と声をかけていただき、
少しだけですがこれからの自分の可能性も感じることができました。
45歳にして手にした極真の黒帯は誠に感無量です。


 最後になりましたが、これまで5年間ご指導をいただきました
江口芳治師範、本多悟朗先輩と、宮川先輩、板橋先輩初め多くの先輩方、
成田さん、大和さん他稽古仲間の皆さんに心から御礼を申し上げます。
今後も生涯現役を目指して、自分なりの空手道に努力精進して参ります。押忍。



■ 井上広美 初段 (平成14年12月8日昇段)

 私はこれまで、仕事以外で一つのことを年単位で続けることができなかったのですが、
空手を始めて気づいたら4年以上の月日が経っていました。

 よく友人、知人に「何で空手なの?」「鍛えて何になりたいの?」と聞かれます。
自分でも28歳で入門し、しかもそれまであまり身体を動かすことをしてこなかったので、
技の一つ一つが身につかず頭でわかっていても身体が動かないジレンマは多々あります。
また稽古で苦しいとき、「何でこんなことをしているんだろう?」と考えたこともあります。
しかし稽古が終わった後の充実感があったり、都合がつかずなかなか稽古に出れないときには、
自分が空手が好きだ、だから稽古したいんだと感じます。

 黒帯取得は入門した頃からの夢でした。昇段審査を受けられることになり、審査の日が近づくにつれ
緊張が高まり、また「こんなにできないのに昇段していいのだろうか」という不安も強まりました。
特に審査当日は緊張が最高に達していたようで、基本、移動、型と変に力んでいたように思います。
10人組手が終わった瞬間、一気に緊張から開放されたように感じたのですが、
現在は自分が黒帯としてやっていけるかという意味での緊張が強くなってきています。
体力的にはあと何年続けられるかわかりませんが、自分なりのペースで空手を続け、
自分なりに空手ができるようになりたいと思っています。

 これまでご指導くださった江口芳治師範、本多悟朗先輩、諸先輩方、
そして今回10人組手を受けるにあたり、協力、応援してくださった多摩センター道場の皆様に
心から感謝しています。
黒帯に相応しい人間になれるよう頑張りますのでこれからもよろしくお願いします。



■ 宮崎雄太 初段 (平成14年12月8日昇段)

 自分が多摩センター道場に入門したのは、小学校5年生のときでした。入門したきっかけは父に勧められたからです。
 初めての稽古では、何が何だかわからなくて周りの人たちについていくのが大変で、続けられるかなと不安でした。
入門した頃は「黒帯を取る」と思いましたが、黒帯は夢のまた夢で「黄帯までは頑張ろう」と思いました。

 そして黄帯を取ると、次は緑、茶、黒と取りたくなり、日々稽古に励みました。
やはり上の級に上がるに連れて稽古の内容も難しく、そして厳しくなり大変でした。
茶帯になると少年部の練習から一般部の練習に参加するようにしました。
一般部は自分の思っていた以上に力の差が大きく、少年部と違った雰囲気と迫力に圧倒され、
一般部で続けられるか心配でした。
しかし、一般部の稽古に慣れてくると一般部の人たちを倒せるくらい強くならないと黒帯が取れないと思い、
ひたすら練習しました。そして半年後には今まで恐怖を感じていたスパーリングも落ち着いて戦えるようになりました。

 ある日、「昇段審査を受けるか?」と本多先輩に聞かれ、思わず「押忍!是非受けさせてください」と答えてしまいました。
自分のなかではとても嬉しい気持ちで一杯でしたが、だんだん不安に駆られてきました。10人組手ができるかな、と・・・。
そして審査当日、筆記テスト、基本稽古の審査を受けましたが、緊張のせいかすぐに息が上がり、
移動稽古、補強のときは苦しくて倒れるかと思いました。
そしてついに10人組手の審査に入りました。審査の前によく本多先輩から「1人目から全力で行け!」
と言われていたのを
思い出しましたが、身体が思うように動きませんでした。
あんなに練習したのにと思い、悔しさが込み上がってきました。

対戦してくださった先輩の技をもらい、だんだん効いてきて、途中倒れるかと思いましたが、戦い続けました。
結果は納得のいくものではなく、自分の弱さを再確認させられました。

 最後になりましたが、ここまで導いてくださいました江口師範、本多先輩、諸先輩方、道場生の方々のおかげで
黒帯を取ることができました。ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。



■ 宮川 力 初段 (平成13年12月2日昇段)

 早いもので極真会館に入門させていただいてから10年の月日が経ちました。
仕事上の転勤等で支部を移籍し、現在は城西国分寺支部で修行させていただいています。

 移籍後、江口師範より茶帯を締めることを許されましたが、稽古を重ねるうちに、
いかに自分が未熟であるかを思い知らされました。
厳しい練習、そして普段経験しない緊張感を味わった試合、また後輩への指導の機会を与えていただき、
真剣に一から基本をやり直し、自分に喝を入れることができました。

 いよいよ昇段へのチャレンジ、10人組み手は緊張のせいもあってか前半で息が上がっていまい、
そして対戦してくださる先輩方との組手のタイミングに、最後まで合わせることができませんでした。
反省点は山ほどありますが、組手終了後、江口師範に声をかけていただいたとき、完遂した満足感と共に、
頭の中を長い修行の日々が走馬灯のように浮かんでは消え、実に感無量でした。

本当にお世話になった江口師範、諸先輩方、最後まで応援してくれた仲間たち、ありがとうございました。
そして今までずっと温かく見守ってくれた家族に感謝の気持ちで一杯です。

 入門から長い階段を登り、やっと極真空手の入り口まで辿り着きました。
修行はこれから・・・・特に壮年の方々、仕事もあり、家族もありと大変ですが、絶対に途中で諦めないでください。
何事も続けていれば必ず報われます。長いスタンスで空手と向き合い、焦らずにゆっくりと、
極真空手の魅力に陶酔しましょう。